東光商事株式会社
ホーム TOKOキーワード ロゴストーリー 事業概要 会社案内 リクルート お問い合せ
TOKOキーワード|TOKOヒストリー
TOKOヒストリー
[Chap.1] TOKOの黎明
[Chap.2] 成長の時代
[Chap.3] 世界への挑戦
[Chap.4] 業態を超える
[Chap.5] さらなる飛躍へ
A day at TOKO
デザイナー対談
海外拠点ファイル
TOKOの黎明 成長の時代 世界への挑戦 業態を超える さらなる飛躍へ
成長の時代
  敗戦を乗り越えて、本社ビルを新築。箕面繊維団地の発起人として、業界発展に力を尽くす。
  昭和二十年、大阪は米軍の大空襲を受け、船場界隈も焼け野原と化した。設立四年目を迎えたばかりの東光商事も、再びゼロからのスタートがはじまる。昭和二十五年になると、朝鮮動乱が勃発。いわゆる戦争特需で景気も沸いたが、その後の反動も経験するなど、しばらくは紆余曲折の時代が続いた。そして昭和も三十年代になると、本格的な高度経済成長期に突入。日本の景気は飛躍的に向上し、東光商事も進展の一途を辿ることになる。

昭和三十七年、当時の社長であった光井司郎は、以前からの念願であった本社ビルを建設することを決定。地下一階、地上七階という、当時の繊維業界の常識からするとかなり大きなスケールだった。自社ビルでありながら貸しビルとしての機能を有していたことも、現代では当然ながら、当時としてはまったく新しい発想であった。こうした新ビジネスに対する取り組みには、船場で繊維業を営む多くの業者が驚いたという。
昭和28年 当時の社屋  
  また光井司郎は、昭和三十年代後半から、第二の船場づくりともいえる箕面繊維団地(多くの繊維問屋・商社が集積している街。大阪府箕面市)の構想に着手し、完成に向けて奔走したことでも知られる。この官民あげての一大プロジェクトは難航を極めたが、まだ交通の便も悪く、雑草地であったエリアに、東光商事は他社に率先して自社ビルを建設。当時、大野原にポツンと建てられたビルを見た配送担当者は、本当にクルマが来るのかと真顔で心配したという。しかし、その後、箕面繊維団地には多くの企業が参入を図り、現在では一大流通センターとしての機能を果たしている。さらに光井司郎は昭和四十八年には大阪繊維協会の会長職に就任。その後も数々の要職に就きながら、業界全体の発展のために力を尽くしてきた。 昭和46年 当時の箕面団地全景  
世界への挑戦→
Page Top ▲
Copyright(c) 2004 TOKO SHOJI Co., Ltd. All Rights Reserved.