東光商事株式会社
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TOKOヒストリー
[Chap.1] TOKOの黎明
[Chap.2] 成長の時代
[Chap.3] 世界への挑戦
[Chap.4] 業態を超える
[Chap.5] さらなる飛躍へ
A day at TOKO
デザイナー対談
海外拠点ファイル
TOKOの黎明 成長の時代 世界への挑戦 業態を超える さらなる飛躍へ
世界への挑戦
  昭和三十年代から取り組んでいた海外へのアプローチ。すべての基本は「まずは、やってみろ」の精神。
  「まずは、やってみろ」。これは東光商事の創業当時から今日まで連綿と受け継がれている精神である。昭和三十年代前半まで、東光商事は、アジア諸国以外に対しては、在日の貿易商を通して輸出する間接貿易を行っていたが、ここでも東光商事はチャレンジ精神を発揮することになる。そう、貿易商を通さずに直接取引を目指したのである。当然、コネがない現地での営業活動はスムーズには進まなかった。たまたま食事の時に知り合った現地人に開拓先を聞き出し、そのまま飛び込みの営業を行ったり、政情不安の中、水や食料を積み込んだ車で、ケニアからナイジェリアまでアフリカ大陸を横断するなど、苦労が絶えなかったという。その後、東光商事は、アフリカを皮切りに、中近東、中南米、アメリカと新規開拓を続け、海外とのコネクションづくりを進めた。特にアメリカでの売り込みは、決められた輸出枠や輸出自粛を日本に求める動きもあって困難を極めたが、当時アメリカ東部で数店舗を展開するアパレルブランド「Banana Republic」への売り込みを成功させ、地道な取り組みを続けることで、他社が売り込みに来ても「まず東光商事を通せ」と言わしめるまでの信頼を獲得した。  
       
  昭和四十年代に入ると、東光商事は海外の拠点づくりに注力し始める。当時、丸紅や伊藤忠といった大手商社を除いて、香港に進出していた繊維企業はごく僅か。そんな中、東光商事は昭和四十二年、台湾に合併会社を開設、続いて昭和四十五年、香港に事務所を開設し、昭和四十八年には香港現地法人を設立した。さらに、昭和五十四年には台北に台湾事務所を、平成四年には上海事務所をオープン。大手商社に引けを取らない海外における機能を有することになる。ただし、このような海外の販路拡大が、全て順調に進んだわけではない。昭和四十八年、変動相場制の導入以来、円高の流れが進行し、繊維輸出は縮小していった。しかし、その際も東光商事は、メインの輸出業から三国間貿易・輸入へと素早く事業を転換し、貿易事業からの撤退を余儀なくされるライバル企業を横目に生き残ってきた。時代の変化に合わせて、失敗を恐れることなく次の事業形態への挑戦を試みる。東光商事のこのような果敢なチャレンジの根底にも「まずは、やってみろ」の精神が息づいていた。  
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